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2006年10月8日設置
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どうもボンジョルノ!

リョータくんからパスをもらったDAICHIです。
元代表だから、チバ・チャンよりもエロいよ。間違えた、偉いよ!

いや、決して偉くはないな、そしてエロくもない。
どちらかといえばそういう観点で言うとチバ・チャンのほうが上なんじゃないかな?


さてさて、とうとう僕も4年生なのでこの日記を書けるのも残り数回なのだろうから、好き勝手書いちゃおうと思います。

だから2つ記事を書いちゃろう。
ひとつは好き勝手な感じの内容が無い記事。もうひとつは古川くんへの責任を果たす記事。
もし新入生の皆さんが見てらっしゃったりしたら、まあ適当に目を通してくださいね。
普段はこの時期気合を入れて書くのだけれど、今回ばかりは適当さ!お許しください!

と、いうわけで古川くんの地震体験記のまとめ。
先日古川くんから聞き出したもののなんだか筆が進まなくて書いてなかったら、こないだの日記で古川くんが書いちゃいました。ごめんね古川くん!
数時間かけながら語ってもらったというのに、己の怠慢でしっかりと書き記さなかった己の不始末。
武士道をかじった者として、遅ればせながらしっかりとその責任を果たさせてもらいます。簡単にだけどね!

というか古川くんの書いた内容だとなんか真面目にまとまり過ぎてるから、訂正したい。
君はもっとそこそこ愉快なことをしていたはずだぞ古川くん。

というわけで、古川くんの三日間の話。

=====

3月11日(金)

前日の就職活動を終えすぐさま夜行バスで仙台入りした古川。
疲れを残したまま試験を受けていたところ、地震に遭う。
幸い会場は落下してくるようなものが無かったため怪我はなかったが、激しい揺れで壁に転がっていったイスが激しい音を立てていた。

揺れが収まり屋外に退避したあと、再試験を行うこと、地震が震度6強という大きなものであったことが知らされる。
その後たまたま同じ試験を受けていた同期の友人と共に会場を後にする。


日が暮れる前に駅にはたどり着いたものの、地震のため駅は既に封鎖されていた。
行くあてもなくバスターミナルに向かったものの、人々で混み合っていて中には入れそうにない。
友人とこれからの相談をしつつ、屋外に佇んでいたところ、近くのローソンが開いているの発見。長蛇の列に並び食料品と水を購入。

仙台駅近くのアエルの一階では自家発電が行われており、電気が点いていた。
これ幸いと中に入り9時頃まで寒さを凌いだが、発電が切れるとのこと。
仕方なくターミナルに戻ると、ターミナルの2階が解放されていたため、そこに避難。
(バスターミナルは企業などが入っているビルの1階にある)
屋内であるものの、建物に出入りする人で自動ドアが開くことで冷たい風が入り込んでくる。もらった新聞紙で寒さを凌いだ。
新聞紙と一緒にもらった黒烏龍茶は、その場ではとても飲む気になれなかったという(味的な意味で)。

深夜2時頃、さすがに寒さに耐えかねてビルの5階に移動。
5階は会議室のような、カーペットが敷いてある空間だった。室内は人で溢れかえっていたが、なんとか二人分の横になれそうなスペースを発見。
友人と共に横になる。
先行きは不安だったが、鞄を枕に僅かばかり睡眠をとることができた。

眠る前に履歴書を書こうとしたが、自己PRが浮かばず結局書けずに眠ってしまったそうだ。




3月12日(土)

6時くらいに目を覚ました古川。
昨日買っておいたおにぎりを食べた後、履歴書を書こうとしたものの自己PRが浮かばない。

そのまま5階の部屋で8時頃まで過ごす。この段階ではまだ情報を正確に把握できておらず、仙台が強く揺れただけと思っていたそうだ。
このままいてもしょうがないと思い、友人と共に外に出る。
バスターミナルで問い合わせをするものの、ただ運休と告げられるばかり。駅に行くも電車が動く気配はない。

当て所なく駅の東口を歩いていると、コンビニに行列が。食料品確保のため並ぶ。
行列に並ぶ人々の会話が耳に入る。携帯のキャリアは全て機能していないようで、情報がほとんど伝わっていないようだった。
待ち時間の間、前に並んでいた爽やかそうなお兄さんと世間話をして過ごす。オール電化も考えものだというお兄さんの言葉に頷いたりしていた。
親切なお兄さんは、近くのコープが開いていたということも教えてくれた。

コンビニでは昨日と違い、店内には入れない。
並んでいるうちにメモに書いた商品を店員さんに取ってきてもらい、店の前で会計を済ませる。

古川は、歯ブラシ、カロリーメイト、チョコレート、ポテトチップスをメモに書いて渡したが、カロリーメイトとポテチは十分に無かったようで、店員さんが申し訳なさそう持ってきたのはクリーム玄米ブランとじゃがりこ。
まあよしとしたそうだ。


コンビニを出て、一度夜を明かした部屋に戻り昼食をとる。
その後再びコンビニを探しに街を散策。ところどころに散乱したガラスがあった。余震によるちいさな揺れも続いていた。
それでも普通に車は走っていたそうだ。
歩いているうちに、街にチラホラと電気が戻ってきた。後で知ったことだが、駅前は昼辺りに電気が回復していたという。

電気の回復を受けて携帯電話の充電をするという友人と別れ、避難所となっているという市役所のほうに向かう。
避難所になっている市役所そばの公園の様子などを見た後、コンビニで買い物を済ませビルに戻る。

午後4時過ぎにビルに入り、購入したチョコやスナック菓子で早めの夕食。
充電を済ませ戻ってきた友人。
充電できるところを見つけたものの、人の多さに列に入れず戸惑っていたところを親切な中国人(友人談)が手招きをしてくれて無事に充電をすることができたらしい。
親切な方はたくさんいるようだ。


室内で時間を潰していると、親切な方がラジオをつけてくれた。
そこではじめて津波のこと、今回の地震の大きさを知る。長期戦になることを覚悟した。

この日もビルの5階で夜を明かすことに。せっかくだから履歴書を書こうと意気込むも、自己PRが書けず断念。
床の硬さで数時間起きに目は覚めたものの、それでもゆっくりと休養はとれた。



3月13日(日)


起きると横に置きっぱなしだった履歴書が目に入る。しばらく考えるがやはり思いつかない。
6時くらいに一人で駅に向かったが、やはり開いていない。戻ると、ビルに入れない。電気の回復に伴うセキュリティ機能が原因だった。仕方なく、裏口にいき、守衛さんに頼んでビルに入れてもらう。セコムかどうかはわからなかった。

8時くらいに友人と再び駅の東口を散策。昨日買い物をしたコンビニまで行ったが、既に商品は無くなってしまったようだ。
向かいのコンビニに並んだものの、10時まで開きそうもないということで、昨日お兄さんに聞いたコープに行くことに。
なかなか辿りつけない。これはもしやお兄さんにデマを掴まされたのではと思い始めたあたりにコープを発見。
心のなかでお兄さんに謝罪をしつつ、既に30人くらい並んでいた列に並ぶ。

9時半くらいに店内に入る。開店時には行列は300人を超えるほどになっていた。改めてお兄さんに感謝する。

リンゴ、ミカン、ブドウ、野菜ジュース(飲まずに持ち帰ったため元代表が飲みました)、かりんとうを買う。丁度1000円だった。
会計の際に駄目もとで単3電池があるか訊いたら、あるとのこと。4本入手することに成功する。携帯の充電器用として大事に扱うこととする。


買い物を終えてオフィスビルに戻ると既に人がいなくなっていて、おばあさんと30代くらいの男性がいるばかり。
話を聞くと市役所が正式な避難場所になったようで、それまでいた人々は既に移動したらしい。
そんな話をしている最中余震が。おばあさんが「揺れてるなぁー!」と陽気に騒ぐので適当に相槌をうっておいた。
そしてどうやらオフィスビルの業務開始のため、もうここにはいれないらしいということも判明。
昼食を食べた後、お世話になったビルの方々にお礼を済ませ、市役所へと向かった。


市役所にたどり着くと、入り口に入ったところですら毛布を敷いてスペースを確保している人々の姿が目についた。
しばらく入口付近で佇んでいると、新しく開放された部屋があるとの情報が。
ただ場所は分からなかったので、市役所内を散策することに。
たまたまエレベータに乗り合わせた人が親切そうだったので、少し大きな声で友人と避難所になっている部屋の場所がわからない旨の話をしていると、案の定親切な方で部屋まで案内をしてくれた。しめたものだと思った。

案内された8階の部屋は、会議室なのか、壁の上部に歴代市長の写真がズラリと並んでいた。思い思いに人々が座っている。
偉そうな雰囲気の市長の写真の下が空いていたためそこに座ることに。運良くコンセントの近くでもあったので携帯の充電も可能だった。
また8階ではラジオが流されていた他、新聞も貼っており、震災の状況を詳しく知ることが出来た。


しばらく時間を潰していると、午後3時くらいにタクシー相乗りの募集が放送で入った。
八戸方面に行くタクシーがあり、同乗する人を探しているとのこと。友人は八戸方面に実家があるため、それに乗り帰ることに。
荷物を持った友人が出ていこうとしていた際、飲みかけのペットボトルを放置しているのを発見。
どうするればいいか訊いたら、いらないから捨てといてとのこと。
そのまま見送った。特に別れの際の言葉は無かった。古川自身も別に何も言う気がなかった。ペットボトルはちゃんと捨てた。


その後午後7時過ぎまで待機。履歴書を書こうとするもまた自己PRが書けない。途中バス会社の人が部屋に入ってきて、各目的地方面まで乗って行く人がいないかどうかを聞いたりしていた。

タクシー相乗り関しての放送は度々入っていたので、帰宅についても現実的に考えはじめた。
弘前に帰るか、千葉に帰るかで悩むも、原発のことなどもあるため、弘前に行くことをうっすら決意する。

午後8時頃、ついに弘前方面へのタクシー乗合の放送が入る。
古川の他に、弘前大学の同学年、院の先輩が集まり、計3人で弘前に向かうことになった。

まずはじめに弘前に向かってくれるタクシーを探すことになった。
タクシーの運転手に事情を話したり電話で探したりするものの、やはり距離がありすぎて誰もとりあってくれない。
それでも根気よく続けていると、一関からなら弘前に向かってくれるというタクシー会社を見つけた。ということで今度は一関まで向かってくれるタクシーを探すことに。

一関に向かってくれるタクシーはちらほら見つかったため、手分けをして値段交渉などをしていたところ、院の先輩に話しかけてきたおっちゃんがいた。
おっちゃんはタクシーの運転手で、事情を話したらなんと弘前までかなりの格安で乗せて行ってくれるとのこと。
院の先輩が念押しでもう一度確認していたが、本当に破格の値段で行ってくれることを約束してくれた。
男気あふれるおっちゃんの好意に甘えて、弘前までお願いすることに決めた。

弘前までの道中、おっちゃんの身の上話に花が咲いた。
結構なヤンチャをしてきたこと、パチンコのいろんな話などをたくさんしてくれた。また、恐らく40歳は超えているだろうに、かなり若い奥さんがいるらしい。只者ではないことが伺えた。
同学年が携帯で情報を集めたところ、高速道路は使わないほうが懸命だろうということであったため、ひたすら一般道をおっちゃんの愉快な話を聞きながら走っていった。


途中、ガソリンが足りないかもしれないとおっちゃんが言い出した。
弘前まではギリギリなんとかという残量で、危ないかもしれないとのこと。
三人がそれぞれ携帯や友人に助力を頼むなどして、道中深夜に開いているガソリンスタンドを探す。
そのおかげか、なんとか開いているセルフのガソリンスタンドを見つけることができた。


スタンドに車を止めると、店員曰く2000円までで、ハイオクしかないとのこと。
それを聞いたおっちゃん、店員が他の客のところに行くとごく普通にレギュラーを入れ始めた。
精算のために寄ってきた店員さんの隙を見計らい、2000円分のハイオクを入れた。
ちょっと店員さん訝しがる。おっちゃん素知らぬ顔。給油終えた体で店員さん遠くに行ったところをまたハイオク2000円。発進。
バレやしないかと冷や冷やだった後部座席の面々に対し、ホクホク顔のおっちゃんの姿が、そこにはあった。

とはいっても、隣に止まっていたおじさんは至極自然に一括5000円のハイオクを入れていた。みんなすごいものである。

そんなこんなでガソリンの心配はなくなり、再び弘前へと進路を向けた。
そこからの道中は特にたいした物でもない。国道282号線の凍結山道をおっちゃんの超絶テクで走り抜けるというスリルを味わったくらいである。



3月14日(月)

午前6時。
弘前大学前のミニストップに到着した。
おっちゃんはせっかく来たのだからと、弘前土産でも持ち帰って高く売りさばく算段をはじめていた。やはり只者ではない。
料金を払い、三人で何度もお礼を言っておっちゃんと別れた。

道中共に過ごした2人ともミニストップ前で別れた。普通に自然に各自帰った。




部屋のドアを開ける。久しぶりの我が家の匂いに安堵感が抑えきれない。
水道が出る。ガスが使える。当たり前だったはずのことなのにものすごく感動した。
思いっきりシャワーを浴びた。4日ぶりのシャワー。体がふやけるほどに浴びた。汚れと共に重たかった色んなものが流れ落ちて行く気がした。
そして、泥のように眠りに落ちた。



長い3日間であった。
人の暖かさを知ることが出来た3日間であった。
人間には風呂が必要であることを学んだ3日間であった。
そして履歴書というものは3日かかっても書けないものであった。



おしまい


=====

とりあえず僕が聞いていてツッコんだこと。


・履歴書を書こうとする並々ならぬその熱意はなんなんだ

・ずいぶんずいぶんあっさりした別れだなぁ!!なんかもっとあるんじゃねえの!?(別に普通だと思っていたそうだ)

・おっちゃん何者だ!


ともかく、いまさらではあるけど無事に帰ってきてほんとよかったよ。

・・・そして実はこの後元代表の横暴により、古川くんは帰ってきて早々お笑いサークルらしい活動にその身を投じていくことになるのだけれど、またそれは別のお話。


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