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2006年10月8日設置
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 「十和田湖畔に行ったこと」  4年 渡辺大智


2011年8月2日の火曜日に、ぼくと、
ふるかわくんと、エスメラルダと、ひらおかさんの4人で、十和田湖畔に行ってきました。なぜ行ったかというと、9月にWPSの合宿があって、昨年までは近いところのロマントピアとかだったけど、今年は十和田湖の宇樽部キャンプ場というところになって、下見をしようということになったからです。

十和田湖畔に行く日の朝は、ぼくは少し緊張していました。なぜなら、お父さんが前日に「十和田湖の道は狭くて大変だぞー」と言ってきたからです。

もし、山道のガードレールをぶち破って湖の藻屑となってしまったらどうしよう。
山に住む身寄りのないおばあさんや動物と事故を起こしたらどうしよう。

色々不安なことを考えてしまいましたが、大丈夫だと言い聞かせてぼくは車に乗り込みました。

「だいじょうぶ、だいじょうぶ、ぼくは一度事故った。このぼくが同じ轍を踏むことなどありえない」

克己により不安を打ち払ったぼくは、みんなと合流するために弘前大学に向かいました。



大学の正門の前に着くと、もうみんなが待っていました。
十和田湖畔は夏でも涼しいことは有名なので、ふるかわくんとひらおかさんはちゃんと長袖を着ていましたが、エスメラルダだけはよく分からない服の半袖でした。

ぼくは、ちょっと大丈夫かなと思いましたが、エスメラルダだから大丈夫なんだろうと思いました。



みんなが車に乗り込み、十和田湖畔に向けて出発しました。
弘前大学から十和田湖畔へは、7号線を横切って102号線をまっすぐです。

黒石を過ぎた辺りで、エスメラルダが朝ごはんを食べていないと言い出しました。
ぼくは、朝ごはんを食べないなんてどうかしてるぜと思いながらも、ほかの二人も食べていないということなので、道の駅いなかだてによって、おにぎりなどを買いました。

後部座席でみんながおにぎりを食べている中でぼくは十和田湖畔に向けて車を走らせます。
途中、2車線くらいの村の中にある道に入りました。ふるかわくんが「本当にこれ国道かよ」と言いましたが、僕も確かにそうだと思いました。

いろんな話をしているうちに十和田湖畔を一望できる展望台まで来ました。
本当は展望台のところで右に行こうと思っていたのですが、ぼくは間違えて左の道に行ってしまいました。

ハンドルを左に切った瞬間、
「あ、こりゃ間違えたかもしんない」
と思いましたが、別に目的地にはつけるのでよしとしました。

それから少し進んでいくと、あたり一面に霧が立ち込めてきました。10m先くらいは真っ白なくらいの濃霧です。
しかも道はぐねぐねとした山道です。
急なカーブが来るたびに後ろに座っているエスメラルダやひらおかさんが窓にぶつかっていました。
ですが、こういう時こそ落ち着きが大事です。
ぼくは、冷静なハンドリングで、なんとか濃霧の山道を越えていくことができました。

山道を越えると「子ノ口」という場所に着きました。
子ノ口は十和田湖から奥入瀬渓流に水が流れ込んでいるところです。

車を停めようとすると、とても愉快なおじいさんが誘導をしてくれました。
このおじいさんは十和田湖でとても有名なおじいさんで、昔はルパンの格好をしていたはずでしたが、その時はただの面白い服でした。きっと大人の事情というものがあったのだろうなと思いました。

ドライブも2時間近くになり疲れていたので、奥入瀬渓流を少し下ってみることにしました。
とても狭い道で、人とすれ違うのがやっとです。
ぼくたちは、一列に並んで進んで行きました。ぼくは、ゲームのドラクエみたいだなと思いました。
でもふるかわくんは藤岡弘、探検隊を思い浮かべたそうです。
あと、エスメラルダは案の定寒いとこぼしていました。

しばらく進んでいくと、大きな滝があるところに着きました。観光客が大勢滝を眺めています。
ゴーゴーという音がなっていて、ぼくはすごいなぁと思いました。
みんなもすごいすごいと言っていて、エスメラルダはすぐさまソニーのサイバーショットを取り出して滝の写真を撮っていました。ぼくは、サイバーショットよりEXILIMのほうが性能的に安定していて安価なのに、なんでサイバーショットなんだろう。ちゃんと自分の使う目的や状況を考察した上で購入したのだろうか、きっと安直にブランドイメージで買ってしまったんだろうな、と思いました。

滝からのマイナスイオンを浴びた気持ちになって、また子ノ口に行きました。
帰るときは、道路を通って帰るとエスメラルダが言ったので、道路を通って子ノ口まで帰りました。

子ノ口に戻ると、あの愉快なおじいさんが「おかえりなさーーい!」と言ってくれました。ちょっと嬉しかったです。


子ノ口の次は、宇樽部キャンプ場に行きました。
山の中に入っていくと、右に曲がる砂利道があって、そこがキャンプ場でした。

エスメラルダが前もってキャンプ場のおじさんに見学したいと電話をしていたので、コテージの中をみせてもらうことができました。
コテージはちょうどいい感じの広さで、ぼくは、とてもいいコテージだなあと思いました。

そのあと、キャンプ場全体もぐるりと見て回りました。
それほど大きくはないキャンプ場でしたが、十和田湖もすぐ近くでいい雰囲気でした。
でも、ひらおかさんが言うには水辺のおくのほうは嫌な感じがするとのことで、あと、エスメラルダのカメラにもピンクのもやが液晶に映ったというので、すこし気をつけたほうがいいと思いました。
ぼくは、ある程度の対霊手段を習得していかなければなぁと思いました。

でも、コテージの辺りはいやな感じじゃないとひらおかさんが言っていたので、コテージの辺りだと心配ないと思います。

宇樽部キャンプ場のあと、今度はお風呂探しを兼ねて休屋というところに向かいました。

休屋は色んなお店やホテルや神社がある十和田湖畔で一番賑わう場所です。

駐車場に車を停めて、はじめにビジターセンターというところに行きました。
中には十和田湖全域の模型があって、この山道をこえてきたんだなーととても感慨深い気持ちになりました。
あと、模型を見ると十和田湖の一部分がすごく深くなっていました。
きっとそこにはネッシーのようなUMAがいるんじゃないかと思いました。

次に、ごはんを食べる場所を探すために十和田湖の案内所に行きました。
とても爽やかな感じのお兄さんが出てきて、親切にオススメのごはん屋さんを教えてくれました。おふろの場所も聞いてみると、それも親切に教えてくれました。

お兄さんにお礼を言った後、ごはんやさんがなかなか見つからなかったので、そのまま十和田湖で一番有名なスポットの乙女の像を見に行きました。

乙女の像は、はだかの女の人が二人で手を合わせているどうぞうです。
二人で手を合わせていたりするのがなんかプリキュアみたいだと古川くんやひらおかさんと話しましたが、はだかだからちょっとおとなの人向けなのかなぁと思いました。

そのあと、神社に行ってお参りをしました。途中エスメラルダが、普段ぼくのことを豚というくせに、長い階段で息をぜーぜーと切らしていたのがおもしろかったです。

いい運動をしたあと、ようやくお兄さんが言っていたごはんやさんを見つけて、十和田名物のバラ焼き定食をみんなで食べました。
牛バラの味がしっかりと玉ねぎの甘さと調和していてとってもおいしかったです。

おなかがいっぱいになったあと、アヒルさんボートにみんなで交代で乗って、帰りました。

帰り道の途中で虹の湖というところのアスレチクでいっぱい遊んで、かっぱ寿司でお寿司を食べて帰りました。

本番の合宿も楽しみだなぁと思いました。

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先日ボクが家の裏山に思想狩りに行ったときの話。

 

ボクの家の裏には一部果樹園としても切り開かれている豊かな山がそびえている。その豊かな山をボクは半袖短パンという機能美重視の服装で登っていた。その日はあまりに天気がよかったのでボクの中にいるハムスター男爵が山に行くことを欲していたのだ。

 

山の中腹にたどり着く。爽やかな風、透き通る青空、大きな桃。

・・・大きな桃!?

 

ガッデム!

なぜか大きな栗の木に大きな桃の実がなっているではないか!

 

確かに裏山の大きな木には妖精ピクシーが住んでいるとかサンタクロース(近所の浮浪者の隠語)が隠れ住んでいるとか、住居として事欠かない噂だが、まさかこんな大きな桃の実がなるなんて・・・!

 

はやる気持ちを押さえてボクは桃の実を支える枝に一閃を放ち、落ちてきた大きな桃の実を持ち帰ることにした。


ところが世の中はそうはうまくいかない。
大きな桃の実を担いで家路を急いでいると、なんと突然芝刈りをしていたおじいさんが奇声をあげて襲いかかってくるではないか!

 

「ウボゥオゥルッシュシャーッ!!」

 

おじいさんの研ぎ澄まされたカマがボクの頸動脈を執拗に狙ってくる!

しかし半袖短パンという戦闘に特化したスタイルのボクの敵ではない。実を持ったまま身をかわし続けていると、疲れたのかおじいさんはへたりこんでしまった。

 

さすがに事情を聞かないわけにもいかず、おじいさんの話を聞いてみると、どうやらおじいさんは夫婦間での仕事の役割分業に対して不満があるということ。おじいさんは以前からおばあさんがやっているように川で洗濯をしてみたいと思っており、先日提案したところ、そっけなく断られてしまったそうなのだ。

それでボクが持っている大きな桃を持ち帰って、自分も女性の主な役割とされている採集が出来るということをおばあさんに示したかったらしい。

 

確かに性別役割分業というのは発展途上国に多く見られるシステムであるが、現代日本でもまだ根強く根ざしているものでもある。

 

だが、文化に根ざしたものというのは一朝一夕には変化しない。

おじいさんを慰める言葉も持たないボクは黙ってその場を立ち去ることにした。

 

その時

 

ほのかなお茶の香りと共に、大きな栗の木から、神話上の存在と言われていたマヤミキが現れた!

 

マヤミキはおじいさんに「あきらめないで!」と告げるとその姿を青空へと還していった。

 

おじいさんは救われたような笑顔でカマを構えて家へと帰っていった。

 

ボクは帰りがけにモモをそっと川に流した。

 

なににもおいて勝るのは諦めない心。そんなことを学んだ1日だった。

 

 

 

という感じで妄想日記はここまでで、ここからは普通に最近の出来事を書きます。

 

最近はNHKの連続テレビ小説「おひさま」にハマってます。

最近WPSのツイッターで「育子ちゃんかわいい」とかさえずってるのはそのためです。決して育子ちゃんという女性が現実にいて思いのたけをツイッターに綴っているわけではないのであしからず。

 

あとはよく芸能人のブログを見ています。

 

近頃のお気に入りは、虹の黄昏というコンビのかまぼこ体育館さんと辺見えみりさんの旦那の松田賢二さん。

 

冒頭のよくわからない日記はかまぼこ体育館さんの影響です。バイーン!

松田賢二さんは変な人です。

仮面ライダーでお尻を出して死んでいた辺りから予想はしていましたが、案の定変な人でした。でもカッコイイから素敵。どうして伊達さんといい斬鬼さんといい仮面ライダーのオッサンはあんなにカッコいいのか。











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そのカッコイイ斬鬼こと松田賢二さんの最近の勇姿

 

 

ブリリアント!!

 

 



さて、好き勝手なことを書きます!

古川くんは大変だったようだけど、弘前も停電とかで軽いパニックになってましたね。
イトーヨーカドーからお客さんが安全のために外に追い出されて交差点の辺りにウヨウヨしていたのが印象的でした。
また自主的に交差点で手信号をやってる方もいたりして。ああいうのをやるのはどういった方なのだろう?偉いもんです。


下の記事の最後にも書きましたけど、先輩の山田八木橋さんからのお誘いでチャリティーライブに出させていただいたりもしました!
ほうほうの体で帰ってきたばかりの古川くんに無理言ったりしてね。青森でネタとか大喜利とか、一発芸とかやってきましたよ。
僕はダダすべりだったけど、古川くんはウケてました。しかもアドリブで。さすがですわ。ハジメさん困ってたけどね(笑)

まあその翌週の弘前のライブでは一人で出たもののそこそこウケてたのでよしとします!
義援金もそこそこ集まって、山田八木橋さんしっかりと赤十字のほうに募金してらっしゃいました。
お笑いを通して僅かばかりでも被災地の方々の力になれて良かったです。芸人冥利につきるとはこのことですネ。
声をかけてくださった山田八木橋のお二人には改めてこの場を借りて御礼申し上げたいと思います。

でもそれ以降は結構な自堕落です。シャッキリします。





しかし、このサークルに入ってもう3年も経ってしまいました。


色んなことやってきしたねー。コンビ変わったりしてますし。
2年生の諸君は知らないかもだけど実は僕DRの前にタケヒロトモというそれはそれはペーペーなコンビを組んでいました。ペーペーなのは今でも一緒なんだけどね。
そんなこんなで紆余曲折を経て、今ではリョータくんと組み、GEROを客席に投げるマイムをしたり、お客さんに際どいパンツを見せたりしたわけです。

スベったことは数えきれないなぁ。でも思いっきりバカウケしたこともあった。
2年の時のH-1と3年の時の亀ハウスは最高でした。新しくネタをやる皆もバカウケするとイイネ!ほんと、すげー楽しいから。


ライブ以外でも思い返せば色んな楽しいことがありやした。

1年の頃はサークルでも初になる出店で頑張ったものです。
他サークルの声がなんぼのもんじゃい。こちとらアマチュアでも舞台経験あるんじゃいと思いっきり声を張り上げて呼びこみしてたら、斜向かいの県産品販売のおばちゃんおじちゃんに気に入られて、なんとなく県産品のアピールをしたりしました。
ある程度宣伝して戻ろうとすると、眼力が半端ないおばちゃんに顔をがっと掴まれて目を覗きこまれ、
「あんたはいい目をしてる!大丈夫だ!」
と言われたことは今でも記憶に焼き付いています。なにが大丈夫だったのやら。果てしなく甘ちゃんだった頃にそう言われたんだから、今だったらなんて言われるんだろう。ちょっと気になる。
あと学祭ではナタさんが真理に到達した様子で錬成をしてました。すごい。

冬は志保さんの誕生日の「SHIO」事件も愉快でした。怒らないで志保さん。ペンタブの調子はいかがだろうか?


2年生は特に何もなかったかな?いやあったんだろうけどこれという強い記憶はないな。
リョータくんが入ったくらいだろうか。
入部当初は今の彼からは想像もつかないくらいの大人しさだったのを記憶しています。
猫をかぶるのは辛かったんだろうなーと思うと腹がよじれるね。

あ、でも志保さんの誕生日でクナイを押し付けたことは楽しかったです。怒らないでね!

あとそういえば2年生から古川くんの才能が開花しはじめたんでした。
無理言ってお見合いパーティーでネタやってもらったことがキッカケになったみたいだね。あの時は無理させてゴメンよ。
でも今の古川くんの面白さを引き出せてほんとに良かったです。


3年生はまあ色々と愉快でしたね。
なんてったって前期がはじまったとき松葉杖ついてましたもん。いやはやまさか足を骨折するとは。
でも骨折を逆手にとった「骨折パンダ戦法」は我ながらナイスだったと思います。アカペラサークルの方々にやたらとウケたしね。ウケればよし!

このころはもうすでにリョータくんとDRを組んでますね。
それまでなんとなく封印してた下ネタやブラックネタもある程度開放可能になったので、やっててフルに気楽で楽しいネタを作れはじめたようになった時期でもあります。ネタを書くのは相変わらず遅えけどね。
なんかタケヒロトモの時のほうがみんなには評判いいみたいなんだよなー・・・。面白ければいいと思うんだけどなー。まあまだまだ修業っすね。

夏には合宿で流しそうめんもやりましたね。
合宿そのものもモチロン面白かったんだけど、個人的には我が家で流しそうめんを実験した時が最高だった。

流しそうめんの実験のあと、合宿で遊ぶ企画として僕が考えた「キャラ設定エチュード対談」(合宿ではえらく不評でしたが)というのを、リョータくんと古川くんと志保さんと僕の4人で試しに遊んでみたときのこと。
引いたカードに書かれた設定に各自従って5分間話すというもので、
確か僕が「バケモン」、リョータくんが「おとうさん」とかなんかそんなん、志保さんが「イタコ」で、古川くんが「ジーパンを顔に被ったおっさん」
みたいな設定だった。

最初志保さんに話を振ろうとしたんだけど華麗にかわされて、僕は「ビュリュクォス!」とか叫ぶしかできず、なんか場がうやむやになったその時。


ふわふわと佇んでいた「ジーパンを顔に被ったおっさん」が突如「バケモン」の顔に勢い良くジーパンを被せる。
視界を突然奪われた「バケモン」。暗闇に動揺しジーパンを取ろうともがいていると、「ジジジジ」という音と共に「バケモン」の視界に突如光が。
なんと「ジーパンを顔に被ったおっさん」が親切にもジーパンの股間のジッパーを下ろし、視界を確保してくれたのだ・・・!
微笑む「ジーパンを顔に被ったおっさん」!


という光景が、動きのみでの表現に関わらず、少なくとも僕とリョータくんの目にはありありと映りました。
もうばっちし見えました。その後はもう爆笑。
今でもリョータくんと話すときは度々話題に上がるこの出来事。こればかりは動画に撮っておくべきだったと後悔しております。
そして古川くんの才能を確信した瞬間でもありました。今のところのベスト・オブ・古川だと思います。



てな感じで楽しく3年間を過ごしてきましたねー。
これからも楽しく過ごしていくぞー。

さてさて、次は現代表のチバちゃんだ。
どうもボンジョルノ!

リョータくんからパスをもらったDAICHIです。
元代表だから、チバ・チャンよりもエロいよ。間違えた、偉いよ!

いや、決して偉くはないな、そしてエロくもない。
どちらかといえばそういう観点で言うとチバ・チャンのほうが上なんじゃないかな?


さてさて、とうとう僕も4年生なのでこの日記を書けるのも残り数回なのだろうから、好き勝手書いちゃおうと思います。

だから2つ記事を書いちゃろう。
ひとつは好き勝手な感じの内容が無い記事。もうひとつは古川くんへの責任を果たす記事。
もし新入生の皆さんが見てらっしゃったりしたら、まあ適当に目を通してくださいね。
普段はこの時期気合を入れて書くのだけれど、今回ばかりは適当さ!お許しください!

と、いうわけで古川くんの地震体験記のまとめ。
先日古川くんから聞き出したもののなんだか筆が進まなくて書いてなかったら、こないだの日記で古川くんが書いちゃいました。ごめんね古川くん!
数時間かけながら語ってもらったというのに、己の怠慢でしっかりと書き記さなかった己の不始末。
武士道をかじった者として、遅ればせながらしっかりとその責任を果たさせてもらいます。簡単にだけどね!

というか古川くんの書いた内容だとなんか真面目にまとまり過ぎてるから、訂正したい。
君はもっとそこそこ愉快なことをしていたはずだぞ古川くん。

というわけで、古川くんの三日間の話。

=====

3月11日(金)

前日の就職活動を終えすぐさま夜行バスで仙台入りした古川。
疲れを残したまま試験を受けていたところ、地震に遭う。
幸い会場は落下してくるようなものが無かったため怪我はなかったが、激しい揺れで壁に転がっていったイスが激しい音を立てていた。

揺れが収まり屋外に退避したあと、再試験を行うこと、地震が震度6強という大きなものであったことが知らされる。
その後たまたま同じ試験を受けていた同期の友人と共に会場を後にする。


日が暮れる前に駅にはたどり着いたものの、地震のため駅は既に封鎖されていた。
行くあてもなくバスターミナルに向かったものの、人々で混み合っていて中には入れそうにない。
友人とこれからの相談をしつつ、屋外に佇んでいたところ、近くのローソンが開いているの発見。長蛇の列に並び食料品と水を購入。

仙台駅近くのアエルの一階では自家発電が行われており、電気が点いていた。
これ幸いと中に入り9時頃まで寒さを凌いだが、発電が切れるとのこと。
仕方なくターミナルに戻ると、ターミナルの2階が解放されていたため、そこに避難。
(バスターミナルは企業などが入っているビルの1階にある)
屋内であるものの、建物に出入りする人で自動ドアが開くことで冷たい風が入り込んでくる。もらった新聞紙で寒さを凌いだ。
新聞紙と一緒にもらった黒烏龍茶は、その場ではとても飲む気になれなかったという(味的な意味で)。

深夜2時頃、さすがに寒さに耐えかねてビルの5階に移動。
5階は会議室のような、カーペットが敷いてある空間だった。室内は人で溢れかえっていたが、なんとか二人分の横になれそうなスペースを発見。
友人と共に横になる。
先行きは不安だったが、鞄を枕に僅かばかり睡眠をとることができた。

眠る前に履歴書を書こうとしたが、自己PRが浮かばず結局書けずに眠ってしまったそうだ。




3月12日(土)

6時くらいに目を覚ました古川。
昨日買っておいたおにぎりを食べた後、履歴書を書こうとしたものの自己PRが浮かばない。

そのまま5階の部屋で8時頃まで過ごす。この段階ではまだ情報を正確に把握できておらず、仙台が強く揺れただけと思っていたそうだ。
このままいてもしょうがないと思い、友人と共に外に出る。
バスターミナルで問い合わせをするものの、ただ運休と告げられるばかり。駅に行くも電車が動く気配はない。

当て所なく駅の東口を歩いていると、コンビニに行列が。食料品確保のため並ぶ。
行列に並ぶ人々の会話が耳に入る。携帯のキャリアは全て機能していないようで、情報がほとんど伝わっていないようだった。
待ち時間の間、前に並んでいた爽やかそうなお兄さんと世間話をして過ごす。オール電化も考えものだというお兄さんの言葉に頷いたりしていた。
親切なお兄さんは、近くのコープが開いていたということも教えてくれた。

コンビニでは昨日と違い、店内には入れない。
並んでいるうちにメモに書いた商品を店員さんに取ってきてもらい、店の前で会計を済ませる。

古川は、歯ブラシ、カロリーメイト、チョコレート、ポテトチップスをメモに書いて渡したが、カロリーメイトとポテチは十分に無かったようで、店員さんが申し訳なさそう持ってきたのはクリーム玄米ブランとじゃがりこ。
まあよしとしたそうだ。


コンビニを出て、一度夜を明かした部屋に戻り昼食をとる。
その後再びコンビニを探しに街を散策。ところどころに散乱したガラスがあった。余震によるちいさな揺れも続いていた。
それでも普通に車は走っていたそうだ。
歩いているうちに、街にチラホラと電気が戻ってきた。後で知ったことだが、駅前は昼辺りに電気が回復していたという。

電気の回復を受けて携帯電話の充電をするという友人と別れ、避難所となっているという市役所のほうに向かう。
避難所になっている市役所そばの公園の様子などを見た後、コンビニで買い物を済ませビルに戻る。

午後4時過ぎにビルに入り、購入したチョコやスナック菓子で早めの夕食。
充電を済ませ戻ってきた友人。
充電できるところを見つけたものの、人の多さに列に入れず戸惑っていたところを親切な中国人(友人談)が手招きをしてくれて無事に充電をすることができたらしい。
親切な方はたくさんいるようだ。


室内で時間を潰していると、親切な方がラジオをつけてくれた。
そこではじめて津波のこと、今回の地震の大きさを知る。長期戦になることを覚悟した。

この日もビルの5階で夜を明かすことに。せっかくだから履歴書を書こうと意気込むも、自己PRが書けず断念。
床の硬さで数時間起きに目は覚めたものの、それでもゆっくりと休養はとれた。



3月13日(日)


起きると横に置きっぱなしだった履歴書が目に入る。しばらく考えるがやはり思いつかない。
6時くらいに一人で駅に向かったが、やはり開いていない。戻ると、ビルに入れない。電気の回復に伴うセキュリティ機能が原因だった。仕方なく、裏口にいき、守衛さんに頼んでビルに入れてもらう。セコムかどうかはわからなかった。

8時くらいに友人と再び駅の東口を散策。昨日買い物をしたコンビニまで行ったが、既に商品は無くなってしまったようだ。
向かいのコンビニに並んだものの、10時まで開きそうもないということで、昨日お兄さんに聞いたコープに行くことに。
なかなか辿りつけない。これはもしやお兄さんにデマを掴まされたのではと思い始めたあたりにコープを発見。
心のなかでお兄さんに謝罪をしつつ、既に30人くらい並んでいた列に並ぶ。

9時半くらいに店内に入る。開店時には行列は300人を超えるほどになっていた。改めてお兄さんに感謝する。

リンゴ、ミカン、ブドウ、野菜ジュース(飲まずに持ち帰ったため元代表が飲みました)、かりんとうを買う。丁度1000円だった。
会計の際に駄目もとで単3電池があるか訊いたら、あるとのこと。4本入手することに成功する。携帯の充電器用として大事に扱うこととする。


買い物を終えてオフィスビルに戻ると既に人がいなくなっていて、おばあさんと30代くらいの男性がいるばかり。
話を聞くと市役所が正式な避難場所になったようで、それまでいた人々は既に移動したらしい。
そんな話をしている最中余震が。おばあさんが「揺れてるなぁー!」と陽気に騒ぐので適当に相槌をうっておいた。
そしてどうやらオフィスビルの業務開始のため、もうここにはいれないらしいということも判明。
昼食を食べた後、お世話になったビルの方々にお礼を済ませ、市役所へと向かった。


市役所にたどり着くと、入り口に入ったところですら毛布を敷いてスペースを確保している人々の姿が目についた。
しばらく入口付近で佇んでいると、新しく開放された部屋があるとの情報が。
ただ場所は分からなかったので、市役所内を散策することに。
たまたまエレベータに乗り合わせた人が親切そうだったので、少し大きな声で友人と避難所になっている部屋の場所がわからない旨の話をしていると、案の定親切な方で部屋まで案内をしてくれた。しめたものだと思った。

案内された8階の部屋は、会議室なのか、壁の上部に歴代市長の写真がズラリと並んでいた。思い思いに人々が座っている。
偉そうな雰囲気の市長の写真の下が空いていたためそこに座ることに。運良くコンセントの近くでもあったので携帯の充電も可能だった。
また8階ではラジオが流されていた他、新聞も貼っており、震災の状況を詳しく知ることが出来た。


しばらく時間を潰していると、午後3時くらいにタクシー相乗りの募集が放送で入った。
八戸方面に行くタクシーがあり、同乗する人を探しているとのこと。友人は八戸方面に実家があるため、それに乗り帰ることに。
荷物を持った友人が出ていこうとしていた際、飲みかけのペットボトルを放置しているのを発見。
どうするればいいか訊いたら、いらないから捨てといてとのこと。
そのまま見送った。特に別れの際の言葉は無かった。古川自身も別に何も言う気がなかった。ペットボトルはちゃんと捨てた。


その後午後7時過ぎまで待機。履歴書を書こうとするもまた自己PRが書けない。途中バス会社の人が部屋に入ってきて、各目的地方面まで乗って行く人がいないかどうかを聞いたりしていた。

タクシー相乗り関しての放送は度々入っていたので、帰宅についても現実的に考えはじめた。
弘前に帰るか、千葉に帰るかで悩むも、原発のことなどもあるため、弘前に行くことをうっすら決意する。

午後8時頃、ついに弘前方面へのタクシー乗合の放送が入る。
古川の他に、弘前大学の同学年、院の先輩が集まり、計3人で弘前に向かうことになった。

まずはじめに弘前に向かってくれるタクシーを探すことになった。
タクシーの運転手に事情を話したり電話で探したりするものの、やはり距離がありすぎて誰もとりあってくれない。
それでも根気よく続けていると、一関からなら弘前に向かってくれるというタクシー会社を見つけた。ということで今度は一関まで向かってくれるタクシーを探すことに。

一関に向かってくれるタクシーはちらほら見つかったため、手分けをして値段交渉などをしていたところ、院の先輩に話しかけてきたおっちゃんがいた。
おっちゃんはタクシーの運転手で、事情を話したらなんと弘前までかなりの格安で乗せて行ってくれるとのこと。
院の先輩が念押しでもう一度確認していたが、本当に破格の値段で行ってくれることを約束してくれた。
男気あふれるおっちゃんの好意に甘えて、弘前までお願いすることに決めた。

弘前までの道中、おっちゃんの身の上話に花が咲いた。
結構なヤンチャをしてきたこと、パチンコのいろんな話などをたくさんしてくれた。また、恐らく40歳は超えているだろうに、かなり若い奥さんがいるらしい。只者ではないことが伺えた。
同学年が携帯で情報を集めたところ、高速道路は使わないほうが懸命だろうということであったため、ひたすら一般道をおっちゃんの愉快な話を聞きながら走っていった。


途中、ガソリンが足りないかもしれないとおっちゃんが言い出した。
弘前まではギリギリなんとかという残量で、危ないかもしれないとのこと。
三人がそれぞれ携帯や友人に助力を頼むなどして、道中深夜に開いているガソリンスタンドを探す。
そのおかげか、なんとか開いているセルフのガソリンスタンドを見つけることができた。


スタンドに車を止めると、店員曰く2000円までで、ハイオクしかないとのこと。
それを聞いたおっちゃん、店員が他の客のところに行くとごく普通にレギュラーを入れ始めた。
精算のために寄ってきた店員さんの隙を見計らい、2000円分のハイオクを入れた。
ちょっと店員さん訝しがる。おっちゃん素知らぬ顔。給油終えた体で店員さん遠くに行ったところをまたハイオク2000円。発進。
バレやしないかと冷や冷やだった後部座席の面々に対し、ホクホク顔のおっちゃんの姿が、そこにはあった。

とはいっても、隣に止まっていたおじさんは至極自然に一括5000円のハイオクを入れていた。みんなすごいものである。

そんなこんなでガソリンの心配はなくなり、再び弘前へと進路を向けた。
そこからの道中は特にたいした物でもない。国道282号線の凍結山道をおっちゃんの超絶テクで走り抜けるというスリルを味わったくらいである。



3月14日(月)

午前6時。
弘前大学前のミニストップに到着した。
おっちゃんはせっかく来たのだからと、弘前土産でも持ち帰って高く売りさばく算段をはじめていた。やはり只者ではない。
料金を払い、三人で何度もお礼を言っておっちゃんと別れた。

道中共に過ごした2人ともミニストップ前で別れた。普通に自然に各自帰った。




部屋のドアを開ける。久しぶりの我が家の匂いに安堵感が抑えきれない。
水道が出る。ガスが使える。当たり前だったはずのことなのにものすごく感動した。
思いっきりシャワーを浴びた。4日ぶりのシャワー。体がふやけるほどに浴びた。汚れと共に重たかった色んなものが流れ落ちて行く気がした。
そして、泥のように眠りに落ちた。



長い3日間であった。
人の暖かさを知ることが出来た3日間であった。
人間には風呂が必要であることを学んだ3日間であった。
そして履歴書というものは3日かかっても書けないものであった。



おしまい


=====

とりあえず僕が聞いていてツッコんだこと。


・履歴書を書こうとする並々ならぬその熱意はなんなんだ

・ずいぶんずいぶんあっさりした別れだなぁ!!なんかもっとあるんじゃねえの!?(別に普通だと思っていたそうだ)

・おっちゃん何者だ!


ともかく、いまさらではあるけど無事に帰ってきてほんとよかったよ。

・・・そして実はこの後元代表の横暴により、古川くんは帰ってきて早々お笑いサークルらしい活動にその身を投じていくことになるのだけれど、またそれは別のお話。


新年、あけましておめでとうございます!
残り少ない任期となりました、Daihyoです。(ネトゲのネームみたいじゃ)

いやぁ、昨年もたくさんのお笑いイベントがありました。
我らがサークルWPSのライブはもちろん、テレビでもR-1、キング・オブ・コント、そして記憶に新しいM-1と、笑いに困窮しない一年でございました。

書いて今更、WPSのライブとM-1とかを同列に扱っていいものかと思うけど気にしないっ!


事細かに活動を振り返ってみれば、昨年の3月、内部ライブの際はわたくし足を折って入院しておりました。自宅警備員勤務10年くらいの立派な体格の御仁の隣で「からくりサーカス」を見ながら過ごす日々。
からくりの身でありながらしろがねに微笑みかけ溶けていくフランシーヌ人形に、人としての大切さを感じ涙し、誰も見舞いに来ないという現実に涙を流しました。

まあ、実際誰も見舞いにこないから逆に笑えました。
(内部ライブの映像も完治してからひっそり見たけど、同じくらい笑えたよ!)

しかし!足を折ったくらいではへこたれません!
「足を折ったパンダ」で新入生勧誘に挑んだ4月!
おかげさまでステキな新入生が入ってくれました!  <ヤッタネ!

あの時のパンダは、急遽作成したビラ含めて会心の出来だったと自負しております。みんな褒めてくれないから自分で褒めるのです。
転んでもただでは起きぬ精神を会得できた、大きな経験でありました。
(ビラとかに関しては日記の2010/04/06 レッドさんの日記を参照だ!)

5月にやった新歓ライブもそんな流れで実に楽しくできていたと思っております。
正直なんのネタやったとか覚えてないけどね!
でも大喜利を最初にやった気がする。あれは大成功だったたぶん!

でもそういやぁあんときがDRの初陣だったんですねー。
今とは違って真面目にやってた気がするなぁ(台本見なおしたら下ネタが無い、奇跡的!)
あと確か古川氏と絵本部もやってました。よくやったわほんと。


そして思い出深い亀ハウスでのワンコーナーライブ!
その大人しさがあまねく知れ渡る我々が、ライブというイケてるイベントの中でよくもまあ頑張ってきたもんです。ありがとう学級委員長。
僕はライブハウスが死ぬほどうるさいということが身に染みて実感できました。中耳炎になったし。

しっかし亀ハウスはウケたなぁー、なんかの間違いだろうというくらいウケた。
やっぱりお酒の力は偉大だね!
漫才やっても爆笑、シュールなコントやっても爆笑、実に気持ちよかったです。
パンツ出したりもしたけど、出したかいがあったってもんです。

あと地味にリョータくんが「笑い待ち」をごく自然に行ったことに感心したのを覚えてます。
やっぱ頭の出来がいい奴は違うねー、ってか?
まあ、でもほんとに感心しました。頼もしいぜ。


そんでもってH-1とかはウケなかったから置いといて、

6月には初の定例ライブが!
チバちゃんとかHADUKIちゃんとかを普通にこき使った定例ライブがありました。タイトルが出てこないけど!(MASAKOじゃないのは確か)
思い出深いのは「決定事項」のお三方がネタを披露したことです。
結構早くに結成してたはずなのに、なかなかネタを見れなかったので、記憶に残っているのです。テレビのヤツ面白かったすね!イッキイキしてた印象であります!(まさに二度揚げのからあげのようなすばらしさ)

あと高野山合唱隊ていう野郎合唱も個人的には楽しかったす。カラオケで練習したりね。
そんでもってかえでちゃんの加入も実に思い出深い。打ち上げの誘いに普通にのっかってくれて、そのまま加入しちゃうあたり、そして徐々に明らかになるその才覚に、このあたりの時期に加入する面々共通の特殊さを感じずにいられません。ほんとなんなんだ古川、リョータ、かえでちゃん。どうかしてるぜ!©ブラマヨ吉田




7月にはチバちゃんに初「豚野郎」呼ばわりをされ、夏休み明けにはチバのおかげさまで流しそうめんをやるはめになりました。
でも流しそうめんはじめ、合宿は楽しかったですねー!
性転換バレーとか、大喜利とか、大いに盛り上がりました。
個人的には高校生ノリでの風呂も楽しかったっす。龍馬ごっことかね!広いお風呂はいいね!


10月は文化祭でありんした。
チョコバナナの盛況ぶりは凄まじいもんでしたー。来年もやるならあんな感じがいいですね。まあやるかどうか知らんけど
(この「知らんけど」というのは我らが顧問の杉山先生の口癖もとい持ちネタだよ!覚えておくといいよ!)

あと密かにDRでどきどきキャンプのお二人と絡ませていただきました。
空気読まずに利きりんごジュースでパーフェクト解答をだしちゃうあたり、僕の相方は持ってるわぁー、ほんと持ってるわぁー、なにかを
そういえばせっかくもらったサインを部屋に埋もれさせているのでなんとかしようっと。


そしてつい最近ですが11月ライブ、やりましたね。
あのライブに関しては、本当に1年生お疲れさまでした。よくやりとげてくれました、感無量です。



とまあこんな感じで昨年はわにゃわにゃやってきましたけど、今年はどうなることやら。
まあ、楽しみですね


ちなみに昨年のテレビでのお笑いだと、R-1のあべこうじに感銘を受けました。
一人でのしゃべくりでもあれだけ面白くできるんですね。どうもR-1というのはキャラ押しとかが多すぎる印象があったので、あべこうじさんが優勝ってのは実に嬉しいです。いやー、すげーなーあべこうじさん。

キング・オブ・コントもキング・オブ・コメディの優勝には実に納得。テレビだと「高橋じゃね?」のイメージしかなかったのでいい意味で期待を裏切られました。確実にネタ自体精度上がってたし、ほんと素晴らしい。録画してなかったのが悔やまれるわぁー。
でも個人的にしずるのパンティーも好きです。録画してなかったのが悔やまれるわぁー。

M-1はほんと綺麗に終わりましたね、やったぜ笑い飯。
スリムクラブはあの間の計算が完璧、己の武器をフル活用で恐ろしいほど。久しぶりに腹抱えて笑ってました。
ジャルジャルも面白かったけど、今思うとディープなお笑い好き向きな気もしますね。


さてさて今年はどんな面白いネタが見れることやら。

じゃあ、今年1発目の日記はこんなもんでおしまい!
次は運悪くPCでこの日記を見てしまった人書いちゃってくださいね。






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